たんっ、と軽い音で地から飛び立った。軽やかにバック転するその背中を、すりぬけ空振る幾本ものクナイ。
それらが地に着くより速く、何かが時雨の指先から飛ぶ。針だ。毒塗りの長く鋭い針。クナイよりも遥かに速く、的確に相手へと。
だが針が刺した其処は無人の地。けれど時雨は笑顔を崩さない。
がきんッ!時雨の背後で刃物と、鎖がかち合う音がした。
「…釣れましたね。」
一瞬前までがら空きだった時雨の背中を、長い鎖が渦巻くように護っていた。鎖は同時に相手の得物へ、その手へきつく絡みついている。
振り向き、鎖鎌を手繰り、相手の、首へ。その間、1秒にも満たない。ひどく楽しげに吊り上がったその口端からは、小さく牙が覗いていた。

手応え、あり。
但しそれは肉を断つ手応えではなく、無機物を砕く手応えだった。
「…!?」
時雨の鎌を受けたのは相手が咥える瓶だった。通常のそれよりかなり硬質な瓶らしく、鎌は貫通できず止められている。とはいえ、瓶は瓶だ。ほんの少しでも運が悪ければ刃は貫通し、咥えた口ごと顔を断ち斬っていただろう。
正気か、この男。
思わずぞっとした時雨は、さらにある物に気づいてしまい青ざめた。瓶の中から紫がかった青い粉が、さらさらと零れているのだ。
この粉、まさか。咥える男がにぃっと笑む。
ふっと吹いた男の息で粉が舞い上がった。慌てて時雨は後ろに飛ぶ。鎖を解かれた男は、青い煙の中で薄ら笑みながら立っていた。
「…ッは…とんだ気違いもいたものですね。自分が吸っちゃう危険性は考えないんです?」
「元より、私は全身毒に侵された身。今更この程度吸おうと困りません。仮にそのような身体じゃなかったとしても…。」
男は…グラオは、猛毒の煙の中、悠々とクナイを構え直した。

「ラグナ様へのお仕えを全うする為ならば、命など、いかようにも利用して捨てましょう。」

「…呆れた。馬鹿もここに極まれりですねぇ。関係ないところでならどうぞお好きにしてください、って言いたい所なんですけど…」
にこっ、と愛らしく時雨は笑む。ともすれば女性にも見えそうな顔立ちだ。その笑顔のまま、華奢な指先で鎖を手繰る。鎖の先端につけた鎌を手に取ると…すぅと、目を細めた。
「――僕の先輩に手を出す人は、殺してさしあげないと。」
蟲惑的なその唇に、狂気が滲んだ。




曰く、恋とは猛が如し。


「…怖ぇな、お前んとこのあの蝙蝠…。」
「いや、お前んとこの忍者も大概だろ…。」

fin.