「ねぇクリエ。次の日曜日、空いてる?私ヒマなのー。」
電話越しの甘い声を聞きながら、皮表紙の手帳をぱらりと手繰った。マス目の大部分に女性の名前が記され埋まっていた。細い指が紙の上を滑っていき…止まる。そこは数少ない空欄だった。
「いいよ、俺も暇だったんだ。どこに行こうか?」
「ホントー!?どこでもいいよー、好きなとこ連れてって?」
「わかった。それじゃ待ち合わせは…」

どこでもいい、と言われながらも頭は彼女の喜びそうなデートコースを素早く考えていた。
場所は王城に程近い大通り。大通りには華やかで上流階級向けの店が並んでいて、彼女が気に入っていた服屋が確かあの辺に。その後は同じく彼女が好きな宝石店、ホットチョコレートで有名な喫茶店、夕飯は高台から街の夜景を一望できるレストラン…。
真鍮の受話器をかちんと置く頃には、既に一通りプランが組み上がっていた。

それはある種のルーチンワークのようなもので。
決して少なくない数の誘いを受けながら、相手毎に好みに合わせたデートを組みあげる。あとは当日プランをなぞればいいだけだ。幾度繰り返してもルーチンワークだと匂わせないのは、彼のハイスペックさ故だろう。
癖のある緑のショートヘアはいつ会っても小奇麗に整えられ。甘いマスクで惜しげなく笑顔を撒き、優しい言葉に居心地良いトーク。絶妙なタイミングで高価なプレゼントをスマートに贈り。暮れてゆく美しい夕陽を背景に、青く澄んだ瞳を真っ直ぐ注がれれば、落ちない女性はまずいない。
これでいてクリエ本人に悪意も計算もないと付け加えれば、大抵の人間が疑心の目を向けるだろう。
けれど実際そうだった。クリエに下心は何も無い。女性の身体が欲しい訳でもなければ、財産を狙っている訳でもない。ただ、誘われるから応じるだけ。そしてどうせ応じるならば、相手の女性に喜んでほしいだけ。
喜ぶ女性のその笑顔は、何よりも心満たしてくれるから。
喜ぶ女性のその声は、
何よりも、心満たしてくれるから。



気がつけば空には三日月が浮いていた。楽しい時間はあっという間だ。
少しふらついたハイヒールが、ゆっくり石畳を鳴らしていた。飲みすぎてしまったらしい。さりげなくクリエが手を差し出しエスコートする。気をつけてね、と声をかければ女性が心底蕩けた微笑を浮かべた。
風の冷たさを言い訳に、そっと絡まる指と指。彼女のペースに合わせて石畳をゆったり進んでいく。角を曲がれば彼女の家へ通じる近道だ。街燈が一気に減って暗くなるが、クリエと一緒なら大丈夫だろう。何の根拠もなく彼女はそう信じていた。ふわふわと、甘いときめきで思考を放り投げ。
かつん。こつん。華やかな大通りが一歩ずつ遠ざかる。一歩遠ざかるごとに、道は暗闇に沈んでいく。
気付くと、
足元も見えない程の暗闇に包まれていた。急にはっとした彼女が心細くなる。クリエはどこ?慌てて見渡すが暗くてよく見えない。ここだよ、と聞き馴染んだ優しい声が後ろから聞こえた。
「ああ。よかったクリエ、そこにいたのね。随分暗くなっちゃったわね。」
「そうだね。でも大丈夫だよ。可愛い君の声が聴こえるもの。」
「ふふ、クリエったら。でもちょっぴり怖いわ。早くお家に」
「だからね、」
暗闇の中でも、彼が柔らかく微笑んだ気配がわかる。
今日一日で感じ慣れた彼の気配。
けど、
自分の脇をすうっと通り抜けた、何か大きく冷たいものの気配は、
およそ馴染みのない、ものだった。

「可愛い君のコエを、もっと聴きたくなっちゃったよ。――いいかな?」




クリエに下心は無い。
ただ、誘われるから応じるだけ。そしてどうせ応じるならば、相手の女性に喜んでほしいだけ。
喜ぶ女性のその笑顔は、何よりも心満たしてくれるから。
喜ぶ女性のその『絶叫<コエ>』は、
何よりも、心満たしてくれるから。

「ッ、はぁ…。」
迸る絶叫に、息を呑み。
そして呑んだ息を、震わせながら吐き出した。
絹を裂くような高音と、しゃがれた生々しい咆哮が調和し生み出すハーモニー。独特の振動がクリエの肌を滑り、痺れを伝えた。その感触のなんと甘美なことか。
ぞくぞくと震える脊髄に、にやける口元を抑えきれない。恍惚と、零す溜息。
「…素敵だね、やっぱり。とっても素敵なコエだ。昼間からずっと思ってたんだ。」
喜ぶ女性の笑顔は魅力的。喜ぶ女性の声は魅力的。
だからこそ、
絶叫を上げ激痛に歪む瞬間がより、魅力的なのだ。
楽しい一日の最後は、最高のひとときで終わりたいと思わない?
「ああでも、寂しいな。そろそろお別れの時間だね。」
落とす四肢がもう無くなってしまったもの。
寂しいけど、デートはそろそろおしまいかな。

「それじゃ、」
声も枯れ果てたその喉に、真っ赤な斧を振りあげた。
甘く柔らかな笑顔のまま。甘く優しい声をかける。
「またね。今日はありがと、楽しかったよ。」




「…さて、と。」
帰ろっか、家に。一度大きく伸びをしたクリエは、軽い足取りで家路につく。
ぺちゃ、ぺちゃ。少し濡れたような足音は一人分。
衣服で指先をささっと拭いて、皮表紙の手帳にまた指を滑らせた。

明日の日付を指さす。そこには別の、女性の名前。
クリエの口元が、楽しげに微笑した。





741Hzの


(彼女はどんなコエで、歌ってくれるかな。)

fin.