小説「The Trick of Beck」〜認知療法の種明かし〜 注:この小説はフィクションです。実在する人物や団体や精神療法とは一切関係ありません。 この小説はフィクションですから、オモシロけりゃそれでいいじゃん、という感じで書きましたので、 小説記載中の理論は必ずしも学術的に正しいものではありません、というかむしろ適当で、 事実と違うものだと思ってて下さい。 また、この小説はフィクションですから、認知療法を非難するものではありません。 で、この小説は今後どんどん書き換える可能性があります。御了承下さい。 それでもよかったらどうぞ読んで下さい。 1.プロローグ 「トリックに気づいたきっかけは、犯人グループの治療を受けた、ある人の発言でした。 『嫌なことは嫌な事、楽しいことは楽しい事、で終わってしまいます。』」 「それがどうしたんですか」 「私は目からウロコが落ちました。そうです、それが普通なんですよ。 普通、そこで終わってしまうモノなんです。 状況があって、感情がある、そこで終わりです。 ところで、あなた、何か嫌いな食べ物ありますか?」 「そうですね、あまりないですけど、ピーマンが苦手ですね。」 「子供みたいですね。まあいいや。あなたがピーマンを食事に出されたら、どう思います?」 「えー、やだ、て思いますね。」 「その感情が出たときに、何か考えてますか?」 「え、別に何も考えてませんよ。嫌なものは嫌、それだけです。」 「そうでしょ、そのときに、『私の嫌いなピーマンをわざわざ出すというのは、私は嫌われてるんだ』 なんてごちゃごちゃ考えます?考えないでしょ。」 「・・・そうか、『自動思考』って、後付けで無理やり作った理屈なんですね。」 「そうです。そこが犯人のトリックのキーポイントなんです。 この点に気が付いた時に、この詐欺事件の全容が見えてきました。 それはそれは幾重にも巡らされた複雑なトリックでした。 世界中の人がだまされたのも無理がありません。それをこれから説明していきましょう。」 2.感情は思考から生じない 「自動思考の問題を考える前に、犯人グループの基本教義について、おさらいしておきましょうか。 アメリカでベストセラーになった経典を作った弟子の共犯者は、 経典の中で、何て言ってましたっけ?」 「えーと、思考が感情を作る、でしたっけ。」 「そんなところですね。でもなんかおかしいと思いませんでしたか?」 「最初聞いた時には、おー、すごい、今まではてっきり、感情が思考を作ると思ってたのに、  コペルニクス的転回だ、と感動しました。だけど・・・」 「だけど?」 「時間が経つに連れて、何かこうしっくり来ないというか、実感にそぐわない感じが出てきました。」 「そりゃそうです。思考が感情から生じるのではなく、感情が思考から生じる、というのは、  現実と異なるんですよ。机上の空論なんです。」 「え?そうなんですか?認知科学で証明されてるんじゃないんですか?」 「そこも犯人のトリックですけど、それは後で説明しましょう。  そもそも、なぜ人間に感情があると思います?」 「え?急にそう言われても、・・・わかりません。」 「はい、正解です。」 「はい?」 「まだわかってないんです。わからないから、いろいろな人が仮説を立てています。  その仮説の一つに、生命の危機に瀕した生物が、いちいち考えていたら危機を回避できないから、  素早く反応ができるように発達したものが感情である、というのがあります。」 「確かに、火事を見たら、考える前に逃げようと思わないと逃げ遅れて死んでしまいますものね。」 「エサを取るときも同じです。あのエサは食えるだろうか、食ったらおいしいだろうか、  食あたりをしないだろうか、どうやって取れば効率的だろうか、なんてぐだぐだ考えてたら、  エサが逃げてしまって動物は飢え死にしてしまいます」 「考える暇のない格闘技でも『考えるな、感じろ』と言われますからね。  感情は思考をショートカットするためのもの、と言えるかもしれませんね。」 「そうです。ある状況に対応するとき、感情が生じるときには思考は生じない。  逆に、スポック博士みたいな理詰めな思考だけの人には、感情が生じる余地はないんです。  ただ理論回路が人より早く動くから、条件反射みたいに見えるだけです。」 「スポック博士みたいな超理系人間は、考えて結論を出したら、実行するだけですね。  思考だけで完結しちゃうんだ。感情と思考は前後関係じゃなくて、補完関係なんだ」 「そこも犯人のトリックの一つです。思考が先か、感情が先か、という議論をしかけると、  皆、どっちが先か、という議論をするでしょ?実はもうそこでトリックにはめられてるんですよ。  そもそも前後関係にないんです。」 「そうか!心理学でいう『フォース』みたいなものですね。  Aを買うかBを買うか、どっちにします?と聞かれたら、  AとBの優劣ばかり考えて、結局どちらかを買わされるんですよね。  買わない、という選択肢もあるはずなのに。」 「似てますね。犯人は、『思考が感情を生む』という結論を導き出すために、  そういう問題設定をしていたんです。要は、皆が嵌められてたんですよ。」 「考えてみれば、犯人グループは、『思考が感情を生む』とか言いながら、  その一方では、『思考と感情には相互作用がある』って言うんですね。  でも、よく考えたら矛盾してますよね。相互作用だったら前後関係はないはずでしょ?」 「よく気が付かれましたね。犯人の理論体系には、トリックを見抜かれないように、  いろいろな言い訳の罠が張られていますが、その場しのぎで言うものだから、  いろいろ馬脚を現すことがありますね。」 3.認知モデルは科学じゃない 「さて、それでは、次のトリックである、認知モデルについてご説明していきましょうか。  ところで、犯人グループの治療と、他の精神療法や普通の医療との違いは何だと思いますか?」 「え?よくわかりませんけど」 「あなた、風邪引いて医者にかかったときに、医者が最初に  『そもそも風邪というのはこういうメカニズムによって発症する』という  講義をしてから治療しますか?」 「いえ、『どうしました?』って症状を聞いたら、すぐ治療にかかりますね。」 「そうでしょう。ところが、犯人の治療は、最初に認知モデルの説明をすることになってるんですよ。」 「確かに、クライアントからしたら、認知モデルなんてどうでもいいから、  早くうつ病直してよ、って思うでしょうね」 「でもそこは省けないんです。そこを省いたら、犯人の治療が成立しないんです。」 「なぜですか?」 「クライアントが認知モデルを信じてくれないと、治療が前に進まないんです。  『思考が感情を作る』ということをクライアントが納得してくれないと、  自動思考は考え出してくれないし、自動思考をいじって感情を直す、という治療方法自体が  クライアントにとって無意味になりますから、課題をする気にもなりません。」 「だけど、信じるも信じないも、認知モデルって、科学的事実でしょ?」 「そう思わせるのも、犯人のトリックなんです。  犯人が生み出したの認知モデルは、科学的事実ではなくて、科学風仮説に過ぎませんし、  本当の認知の仕組みは、まだまだよくわかりませんが、  どうもそんなに単純なものではないようです。」 「え、てっきり証明されたものと思ってた。」 「あの『認知モデル』というのは、コンピュータ時代の1980年ころに作られたモデルです。  あのころは、人間の頭はコンピュータと同じである、  コンピュータの情報処理技術を進めていけば人間と同じ、  いや人間以上の人工知能を作ることができる、と皆本当に信じていました。  そういう言葉をうまく利用したんですね。」 「科学的色彩を帯びさせる、というのは、人をだます大事なポイントですものね。」 「犯人の言う『認知』は、認知科学や認知心理学の言う『認知』とはだいぶ違うんですよ。  それを『認知』という言葉を利用してだましてるんです。」 「完全に私もだまされてたわ。犯人は、認知科学の言葉を借りていたただけなのね。」 「科学的色彩、と言えば、エビデンスを利用するという手もあります。」 「え?エビデンス自体もウソなの?」 「ウソとはいいません。確かに、『薬物療法+犯人の治療』と『薬物療法』を比較するのは  おかしいよなあ、『薬物療法+犯人の治療』と『薬物療法+犯人の治療もどき』で  比較すべきだろうなあ、とか細かいことは気になりますが。ところであなた、ゴルフされますか?」 「いえ、しませんけど」 「そうですか。ゴルフはめちゃくちゃ打ってもまっすぐ遠く飛ぶことがあるんです。  私のような素人はそこで思うんですね。『よし、この打ち方が正しいから、この打ち方で行こう。』  ところがどっこい、そうは簡単にいきません。  マイナスとマイナスが打ち消しあってプラスになってることがあるんです。」 「結果が伴ったからと言って、過程で適用した理論が正しいとは限らない、ってことですね。」 「そうです、仮にエビデンスがあるからと言っても、  それは仮説の正しさを担保するものではないんです。  犯人も認めるように、精神療法は、クライアントと治療者とのいい関係がとっても大事ですが、  そのいい関係がクライアントの治療に結びついている可能性が多分にあるんです。  犯人グループのエビデンス評価でそういう注意書きを見たことがあります。」 「そういえば、CMでよく『何パーセントの人が効果を感じた』『歯医者さんの何パーセントが勧めた』  とか言いますけど、あれってむしろ疑いの目で見ちゃいますよね」 「そうなんですよ、なのに犯人グループのエビデンスの主張は皆信じちゃう。  それまでの精神療法がエビデンス面を軽視し続けてきた反動にうまいこと乗った感じですね。  確かにそれまでの精神療法が正確なエビデンスを出したら商売にならなかったでしょうけど。  亡くなった元文化庁長官なんかも、うまくいったエピソードを浪花節的に語って  人を感動させるのはとても得意な人でしたが、エビデンスは頑として出しませんでしたからね。」 4.「自動思考」は後付け 「だけど、犯人にとって、『認知モデル』を信じさせることって、そんなに大事なんですか」 「一番大事な『自動思考』のトリックを成功させるためには必要不可欠なんです。  思考が感情を作る、っていうことを認めてさえもらえれば、感情あるところに思考ありですから、  自動思考も気づかないだけで本当はあるはずだ、ということになります。」 「確かに自動思考って、後から必死でうんうん言いながら考えるものですね。」 「そうでしょ。『自動』になんか出てきませんよ。だいたい認知再構成法で使う、  『コラム』を見て下さいよ。感情と自動思考とどちらが先にありますか?」 「あ、感情が先なんですね。」 「面白いでしょ。これが本来の感情生成過程なんですよ。  私は『思考が感情を作る』という教義に忠実だった時代に、コラムを作ろうとして、  先に思考を書いたことがありますよ。全然うまく行きませんでしたけど。  思考を書くと、感情がなくなっちゃうんです。冷静になるんですね。」 「本当に自動思考って、後付けの理屈なんですね。」 「認知モデルは、その『感情を説明するために無理やり考え出した後付けの理屈』が、  『自分のスキーマによって生み出された思考の歪み』である、と誤解させるために、  必要不可欠なんです。」 「そうか!頭で考えた後付けの理屈が、自分の感情生成過程の一部であると思わせるわけですね!」 「そうなんですよ、ここはすごいトリックなんです。  それを説明するために、『外在化(外部化)』について話を先にしておきます。」 「なんですか?それ」 「『外在化(外部化)』というのは、自分の内面のモヤモヤを言葉とか具体的なモノに表現することで、  そうすることによって、自分の思考や感情を客観視して冷静になれたり、  その言葉を叩いて自分の内面のモヤモヤを解消したりするんです。」 「日記を書くようなものですね。」 「そうです。犯人の課すトレーニングには日記を書かせるというのもありますね。」 「外在化、って、ブリーフセラピーでも聞いたことあるような気がしますけど。」 「心の悩みは原因が複雑に絡み合ってわかりにくいですし、  わかったところで検証のしようがないですし、検証できたところで除去不可能なことが多いものです。  だから、原因を追求せず、たとえば『悪魔がついている』とか言って、  その悪魔が原因だと思わせて、それをたたくわけです。これがブリーフセラピーでいう外在化です。」 「で、その『外在化』と、犯人のトリックがどう関係あるんですか?」 「犯人は、もともと後付けで作り出した自動思考を、いったん内在化(内部化)させて、  もう一度外在化させて叩く、という手法をとっているんです。」 「は?」 「自動思考は、もともとその人の感情生成過程とは関係ない、後付けで考え出した思考です。  いわばその人の外にある考え方です。  ところが認知モデルを信じている人は、感情の前に思考があるはずだ、と考えるものですから、  自動思考があたかもその人の感情生成過程で生じた、  その人の中にもともと内在化(内部化)していた考えであったかのように勘違いしてしまいます。」 「それで書き出してみた自動思考を見ると、自分が気づいていなかった自動思考が、  あたかも外に現れたかのように感じるわけですね。」 「そして、『ああ、私は気づかなかったけど、心の中ではこういうことを考えていたんだ。』と  感動するわけです。こうして犯人の治療法の信者が一丁上がり、ということになります。」 「おかしな話ですよね。もともとそんなことは考えてなくて、今無理やり考えさせられたから、  以前に気づかないのは当たり前なのに」 「その単純なことを考え付かないようにしてしまうのが、認知モデルのすごいところです。  クライアントは、認知モデルを信じさえすれば、一生懸命自動思考を考えてくれます。」 「そうは言うものの、警部が冒頭で例を上げた方のように、なかなか自動思考が出てこない、  という方も多いでしょうね。なんせ後付けの考えだから。」 「そこは犯人グループも苦労するみたいですね。  ほとんど誘導尋問みたいにして自動思考を引き出そうとしているような本を見た記憶もあります。  マインドフルネスという犯人グループは、そこを瞑想とかで気づいた、とごまかそうとしています。  よく、犯人の治療法は知的レベルの高い人に適性があると言いますが、  この段階で、クライアントの知的レベルが大きく影響してきます。」 「無理やり考えたことを言語化してもらわないといけませんからね。」 「そうです。何も考えずに生じた感情に、さも前から考えていたような  後付けの理屈をつける能力がいるんです。  それが後付けかもしれないと疑う能力はあってはいけませんが。」 「政治家とか官僚とか弁護士とかだったら、こういう後付けの理屈を作るのは、  お仕事柄大の得意でしょうね。」 「たぶんそうでしょうね。」 「そうか、それで、犯人の治療法では、What is going through your mind right now?って  よく聞くんですね。」 「そう聞かれても、本当は何もないのに、それをわざわざ考えて作り出してるんですね。」 「真面目なクライアントは本当にかわいそうですね。」 「犯人グループは、WhyじゃなくてWhatで聞け、とかいいますけど、  何もないWhatを苦労して作り出すより、まだWhyの方が考えがいがあるんじゃないですかな?  ただ、心の問題で、Whyを考えても結論が出るとは思いませんが。」 「でも警部、一つ疑問があるんですけど。」 「何ですか?」 「なぜそんな自動思考をわざわざ考え出す必要があるんですか?  自動思考がもともとその人の中にない考えなら、そんな自動思考の歪みをなくしても、  その人の心の悩みはなくなるはずがないでしょ?」 「そうですよ。悩みはなくなりません。悩みがなくなった気になるだけです。」 「え?悩みがなくなるわけじゃないんですか?」 「エクソシストが悪魔祓いをしても、精神障害が治らないのと一緒です。  自分で認知の歪みという悪魔を作り出して、それが自分の中に昔からいたように勘違いして、  それを自分で退治しようとしてるんだから、世話ありません。」 「だったらなぜ犯人はそんな作業をさせるんですか?」 「クライアントが勘違いして『治った気になる』からです。  自分の自動思考を自分でコントロールして直した、という気分が大事なんです。  心の病というのは、本当の原因がわからないですし、  『気の病』ですから、『治った気になる』と『治った』の区別があまりなくて、  本人にも医者にもつかないものなんです。今は『治った気になる』で十分とされているんです。」 「そうしたら、治った気になっていても、本当は治っていない、ってことですか?」 「そうですね。仕方ありません。でも、治った気が続けばいいんですけどね。」 「続かないんですか?」 「続くわけないでしょ。もともと悩みの原因とは関係ない後付けの思考を叩いてるだけなんだから。  いい気分はあっという間に消えますよ。」 「『いやな気分よ、さようなら』と言う題名の経典がありますが、  『いやな気分』は、全然『さようなら』してないんですね。」 「そう、『さようなら』してるように感じるだけ。  『自動思考』というフィクションで、自分の目と耳をふさいでるから、相手に気づいてないだけです。」 「阪神が負けた憂鬱は、阪神が勝たないことにはおさまりませんものね。」 「あなた阪神ファンなんですか、ご愁傷様です。」 5.「スキーマ」なんて存在しない 「警部は自動思考こそが犯人のトリックの本質である、というご意見みたいですけど、  スキーマこそが一番大事なトリックじゃないんですか?」 「お、スキーマがトリックであることに気が付きましたか。  でも、スキーマは、メインのトリックじゃありません。  認知モデルのトリックと同様に、自動思考というトリックを成功させるための  基本トリックに過ぎないんです。  だいたい、なぜ、スキーマって概念が必要なんでしょう?考えたことありますか?」 「うーん、思考が感情を作るんだったら、自動思考だけ直したらいいですよね。  わざわざスキーマなんて概念考える必要ないですよね。」 「そうですね。だいたい、そんなものないんですから。」 「え?スキーマってないんですか?考え方のクセ、って誰にでもあるような気がしますけど。」 「考え方のクセはありますよ。問題は、それが認知の歪みの修正を通じて修正可能かどうかなんです。  思考を変えることでは修正不可能なら、それは犯人の言う『スキーマ』ではありません。  スキーマのトリックのキモは、スキーマは修正可能である、  認知の歪みの修正を通じて考え方のクセも直せる、と思わせるところなんです。」 「認知の歪みを直してスキーマを『揺さぶる』とか言いますけど、  それでスキーマは変わらないんですか?」 「変わりますか?三つ子の魂百まで、スズメ百まで踊り忘れずですよ。」 「でも急に人が変わったようになる人がいるのも事実でしょ?」 「お、いいところに来ましたね。そんな人たちって、認知の歪みを直して変わりましたか?  犯人の治療法をやってる人で、考え方のクセまで変わった人知ってますか?」 「うーん・・・ネットでよくそう主張する人はいますけどね。」 「ネットだったら、私もなんとでも言えますよ。  考え方のクセというのは、思考で変えられませんよ。  だって考え方のクセで生まれた思考が、親元の考え方のクセを変えられるはずがないでしょ?」 「そうですね、考え方のクセとは違う考え方をしないとだめですね。  そんな違う考えが考え方のクセから生まれる、ってのは矛盾ですね。」 「考え方のクセが変わる可能性があるのは、その考え方のクセで生まれた考えでは対応できない  現実に出会ったときです。その考え方のクセを修正しないと生きていけない時にしか、  考え方のクセは変わりません。」 「大きな事件を体験して、その体験を乗り越えたときとかは、考え方が変わりますね。」 「それでもなかなか変わらないのが『考え方のクセ』なんです。それほど強固なものなんです。  その考え方のクセは、その人のこれまでの人生を支えてきたんですからね。  考え方のクセを変えると自我が崩壊するんです。」 「軍国少年がそれまで信じてた教科書に墨を塗られたときのようなものですね。  ブラジル移民の『勝ち組』の人たちも、日本が戦争に負けたことを信じようとしませんでしたね。」 「たとえが古いですね。悪い方向に人格が変わることもあります。  いい人が辛い事件に出会って悪い人になるとか、挫折を乗り越えられなくて引きこもりになるとか。  むしろこっちの方が多いのが残念ですね。」 「頭で考えたことで、考え方のクセを直すことはできないんですね。」 「残念ながらその通りです。」 「じゃあなぜ、犯人は、『スキーマ』という概念が必要だったんでしょう?」 「一番大きな理由は、自動思考を直してもハッピーになれない人への言い訳でしょうね。  お前はスキーマを直さなければいけない、と言って努力させておけば、  いい人はずっと努力し続けるでしょうから。」 「変えられない方法で変えさせようとして、変えられないのは努力が足りないからだ、  と自分を責めるようにするんですね。わかります。」 「もう一つの理由は、人間の心がわからない、ということです。」 「といいますと?」 「どんな人間でも、人間の心をまじめに考えたときには、  やはり、わからない部分が存在することは認めざるを得ないんですよ。  過去の犯人たちも、このわからない部分にいろいろ名前をつけてきました。  『無意識』とか『コンプレックス』とか『パーソナリティー』とかですね。  そしてそのわからない部分に自由連想法とか夢分析とかの、  さらにわからない神秘的な方法でアプローチしようとしたんです。」 「そして今度の犯人は、そのわからない部分に『スキーマ』という名前をつけたわけですね。」 「そうです。犯人も昔は精神分析をしていたそうですから、  その時代の『考え方のクセ』が残ってたのかもしれません。」 「自動思考とスキーマの関係は、精神分析で言う、自由連想法で浮かんだ思考と無意識との関係  そのものですものね。」 「そうです。犯人のルーツである大盗賊が唱えた、精神分析の焼き直しに過ぎません。」 「でも犯人は、スキーマと無意識は違うんだ、って主張してますよ。」 「理屈とコウヤクはどこにでもくっつきますよ。どう違うのかはよくわかりません。」 「そういえば、犯人の一味が『スキーマ療法』なるものを作って、  パーソナリティーの変容までできるかのように主張していますが、  スキーマと無意識がそう変わらないのなら、スキーマを突き詰めていけばいくほど、  精神分析と内容が変わらなくなってくるのも、当たり前ですね。」 「犯人のペテンである『スキーマ』の存在をまともに信じちゃったんですね。  ちょっとかわいそうです。マインドフルネスとか、手法の方に逃げればよかったのに。」 「でも、スキーマは、無意識にせよコンプレックスにせよ、以前から言われている、  『心の中の不可知なものの焼き直し』でしょ?  だったらスキーマを唱える犯人に罪はないんじゃないですか?」 「今度の犯人の悪質なところは、その『心の中の不可知なもの』が、  思考訓練により修正可能であるとウソをついたところです。  スキーマはアクセスできる、操作できる、それが無意識とスキーマの違いだ、と言っちゃったんです。  それを信じた人が無益な努力を続けることになってしまいました。」 「じゃあ、犯人の治療法で命じられる課題をいくら一生懸命しても、スキーマは変わらないんですね。」 「紙と鉛筆で考え方のクセや性格が変わればいいですけど、私は悲観的ですね。」 「だけど、『スキーマ』って言葉って、なんか響きもかっこいいですね。」 「最初は『認知構造』って呼んでたらしいですよ。  でも『認知構造』のままなら、ここまで流行る概念にはならなかったでしょうね。  『スキーマ』って言葉は、もともとカントなんかも使ってますしね。  『認知』にせよ、そういういかにも学術的な、  人が信じやすそうな用語をパクってくるところは天才的ですね。」 「それと頭のいい人は、表面だけを取り繕っても駄目だ、構造から、本質から直さないといけない、と  よく言いますものね。そういう人にも受けたんでしょうか」 「頭のいい人に限らず、病気にかかっていたら、症状だけを抑えるんじゃなくて、根本的に直したい、と  思うのが普通でしょうからね。そういう人の志向に合致したんだと思いますよ。」 「犯人の治療法は表面的だ、浅い、という反論に、実はよく勉強すれば深いことがわかるはず、って  言う人がいますけど、深いってことは、治りにくい、ってことなんですね。」 「学者さんはそういう学問的立場と臨床的立場を使い分けるのがうまいですね。  理論の不備については、『とりあえずやってみないとわからない』『やったら効果が出た」というし、  やってみてもうまくいかない、と言うと『勉強が足りない』『やり方が違う』  『よく知っている指導者がいない』と言いますね。」 6.手法以外を考えさせない 「でも、そんな一時だけ短期的に気分が良くなるのが犯人の治療法だったら、  誰も一生懸命課題をしませんよね。  多数の経典には、これでもかこれでもかとあれをしろこれをしろと書いてますけど、  本当にあんなことする人がいるんですか?」 「そこも大事なトリックなんです。修行は治療法への信仰を強めるんですよ。」 「はあ?修行したら嫌になるんじゃないんですか?」 「嫌になって辞める人ももちろんいます。だけど、最初の段階を超えたら、  ここまで頑張っているのに無駄になるはずがない、と考えるようになるんですね。」 「そして現実が見えなくなってしまうわけですか。」 「もう一つ、課題をさせることは、クライアントに治療への参加意識を持たせる、  言い換えれば責任を持たせる、ということですね。」 「それって、いいことじゃないですか?」 「うーん、結果が出るんならいいですけどね。  出ない場合に、真面目なクライアントが、『やっぱり私はダメだ』って自分を責めちゃって、  心の病が悪化する場合があるんですよ。」 「もともと無理なことをしようとしてるのに、うまくいかないことを、自分のせいにしちゃうんですね。  かわいそう。」 「そして、犯人にとっても好都合です。」 「なぜですか?治らないことをさせているのに。」 「結果が出ない場合は、ちゃんとやらなかったクライアントの責任だ、ってことにして、  責任逃れできちゃうんですよ。」 「まさかいくら極悪非道な犯人グループでも、そんな人はいないでしょ?」 「そう信じたいですね。精神療法の医療過誤訴訟が起こってもね。」 「それにしても、犯人グループの修行方法は、いったい何種類あるんでしょうね?」 「さあ、それは全くわかりません。  分厚すぎるマニュアルは意味がないのですが、治療法の理論面に疑いを抱かせないために、  手法を多様化・複雑化して、皆の意識を手法の方に集中させる、というのも  犯人グループのトリックの一つですから。」 「確かに犯人にだまされた人は、治療法オタク、と言っていいほど、  あんな手法がある、こんな手法がある、と手法マニアになりますね。」 「そんなオタク相手には、マニュアルは分厚ければ分厚いほどいいですし、  手法は複雑であればあるほどいいですし、効果はなかなか出なければ出ないほどいいんです。  犯人の思うツボです。」 「そもそも宝があるかどうかを考えさせないために、宝の地図をわかりにくくするようなものですね。」 7.エピローグ 「犯人のトリックの種明かしは以上です。  それ以外にも細かいトリックや、犯人の供述の矛盾はいろいろありますが、  それはまた改めてご説明します。」 「ごく一時的にしか効果のない感情調整を行うために、『自動思考』というトリックを使い、  現実には存在しない『認知モデル』『スキーマ』を信じ込ませ、  心の病で苦しむクライアントに無益な課題をさせ、時間と金を浪費させた罪で逮捕します。  署までご同行願います。」 「誤認逮捕だ!お前の認知はどうしようもなく歪んでいる!  エビデンスを見たことがないのか?  短いセラピー回数で支払いを減らしたいアメリカの保険会社や、  精神病関連の薬価抑制を目指す日本政府も俺の味方だ!俺には健保も適用されてるんだ!  俺を逮捕すると痛い目に合うぞ!お前を抹殺するぐらいトリプルコラムを書くより簡単なんだぞ!」 「話は署で聞こうか。」  髭を生やした背の高い外人は警官に手錠をかけられて連れられて行った。 「いやあ、大変な相手でした。  だけど、奴を信じてる善良な人もまだまだ多いし、奴のおかげで飯を食ってる人もいます。  奴のトリックを暴くのが良かったのかどうか・・・わかりませんねえ。」 「そうですね、わかりませんね。でもわからないものはわからないまま置いておきましょうよ。」 「そうですね。あの男も昔は、長期にわたってクライアントをしばりつけて、  しかも効果が出ない治療法を研究してたんですから。わからないものをわかるようにして、  クライアントを治したい一心で、こんな犯罪を思いついたのかもしれませんね。  だからあんな複雑なトリックを考えられたんでしょう。  それがこういう結果に終わってしまったのは、本当に残念です。」 「心の病の原因と発生機序が科学的にはっきりするまで、こういう人はまだまだ出てくるんでしょうね」 「たぶんそうでしょうね。次はどんな強敵が来るでしょうか。楽しみですね。」 了(rev.0 2011.10.19)