ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第五話「花の種」




 今日のところは開放するので連絡があるまで別邸で待つようにとのありがたい言葉を頂戴して、リシャールは宰相の執務室を辞した。
「随分と絞られておいでになったんで?」
「公爵様とお爺様の登場は、流石に考慮していませんでしたよ」
 付き従うジャン・マルクに向けて肩をすくめて見せたリシャールは、はあっと大きく息を吐いてから体を伸ばした。ぱきぱきと背中から音がする。やはり、多かれ少なかれ緊張していたようだ。
 明日には領地に帰る算段を立てていたのだが、それはどうやら無理らしい。
 義父、祖父、宰相の三人は、今頃何を話しているのだろうか。
 どちらにせよ、三者三様にこちらを気遣ってくれていることは間違いないのだ。その点だけは信用しても良いと、リシャールは感じている。面倒事の一つや二つは増えるかも知れないが、今更に過ぎた。それに逮捕騒動時に助力を請うた手前、何につけ抵抗しがたいと云う側面も多少ある。
 予定や行動にもう少し余裕があれば……といつも思っているが、その希望がなかなか叶わないリシャールであった。
「あれ? ……っと」
「どうかなさいましたか?」
 リシャールは廻廊の向こうに、髭を蓄えた魔法衛士隊長を見つけた。
「こんばんは、ワルド子爵殿」
「む、セルフィーユ……伯爵!?」
 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド 。
 彼はラ・ヴァリエールの隣に領地を構える子爵家の当主にして王宮魔法衛士隊グリフォン隊の隊長、ついでに風のスクウェアメイジでもある。能力だけでなく人柄についても義父らからの評価は高く、順当に行けば彼はルイズの夫として義兄弟になる可能性もあり、リシャールは半ば身内と気を許していた。
「園遊会以来でしたか、お久しぶりです」
「……本日は登城して居られたのか?」
「はい」
 若干戸惑いを見せるワルド子爵に、ああ、そうだったかと得心する。
 彼は子爵で、自分は伯爵。だが先日までは同格の子爵ながら歳はリシャールが下という構図だった。なるほど、向こうもやりにくいだろうなと水を向けることにする。
「先日伯爵におなりになったのでしたな」
「ありがとうございます。
 でも、どうぞ以前のようにお話しして下さい。まだまだ先達に教えを請う立場です。
 ……他の方には、そうも口に出せないのが辛いところですが」
「ふむ、そう言うことなら僕も楽にさせて貰おうか」
 こちらの気分につきあってくれる様で、リシャールも少し肩の力を抜く。
「ああ、今日は珍しくラ・ヴァリエール公爵も登城しておられたね。
 同じ用件かい?」
「はい、宰相閣下にご報告というか、ご指導を戴いてきたというか、まあ、そのあたりです。
 義父と祖父の同席は知らされていなかったので驚きましたよ」
「大変そうだね、なんでも大きな街道工事を主導しているんだって?
 それでは僕のように家臣から代官を立てて領地の一切を任せる、というわけにもいかないだろう。
 ついでにあっという間に大家臣団を編成して、領内をまとめ上げたとか。
 ……領地の経営は苦手と早々に見切りをつけた僕としては、少々羨ましくもあるかな?」
 言葉こそ韜晦に満ちていたが、彼は王宮勤めの中でも激務で知られる魔法衛士の、それも隊長職であった。
 親衛隊たる魔法衛士隊は現在三隊あり、当然、隊長も三人いる。そのうちの一人ということは、国に三人しかいない最強の一角と公に認められているに等しい。魔法衛士隊員は何か事件が起きれば宿舎に帰るのも一苦労、王城の仮眠室で寝る事の方が多かったと義母カリーヌより聞かされてもいた。
「子爵殿は私とは逆に、貴族に求められる文武のうちの『武』を表にして、王国に奉仕なさっておられるのでしょう?
 特に魔法衛士隊では任務の都合上、個々人の能力が非常に重視されるとお聞きしますよ。
 それこそ、訓練と任務以外のことに手が回らぬ程とか?」
「ふむ。
 ……非番の日に、市中へと飲みに行くぐらいは大丈夫だけどね」
 子爵は肩をすくめ、暗に事実であると肯定してみせた。
 羽根飾りがついたつば広の帽子に揃いの黒マントも見栄えよく、王室警護の要として一騎当千のメイジたちで構成されている魔法衛士隊は、トリステインの少年少女たちには憧れの存在である。
 だが同時に、その苦労も並大抵ではないようだ。
 自分はまだ恵まれているらしいと、リシャールは内心で頷いた。

「本日我が隊は夜の配置なのでね、機会があれば君とも一度飲みたいものだ」
 そう言い残して奥向きの警備へと去っていくワルド子爵を見送り、リシャールも正門に足を向けた。
 とうに日は落ちて閉門の時間となっている。不夜城と言えるほど灯りの点いた部屋は多くないが、まだまだそこかしこで仕事をこなしている人々もいるのだろう。その内の一つである宰相執務室の方向に向かってリシャールは軽く一礼し、衛兵に見送られて城外へと出た。
 気を利かせた御者が王城の正門が閉じる前に馬車を外に出していたおかげで、徒歩で別邸まで戻らずに済んだのは幸いであった。
「明日以降はどうされます?」
「公爵様から連絡があるまでは別邸に足止めとしても、そう長くはかからないでしょう。
 ジャン・マルク殿は自身と随員の帰城について、算段を立てておいて下さい。
 二、三日以内なら『カドー・ジェネルー』の方が、手間も掛からず早いかも知れません」
「は、畏まりました」
 身重な妻を放っての現地休暇になってしまうのは申し訳ないが、骨休めぐらいは出来るだろう。 
 王都とセルフィーユを結ぶ『カドー・ジェネルー』は週に一度の運航だが、次回の出航予定と馬車ならば三日必要な移動時間を考えると、王都で船便を待つのも悪くない選択となるのである。

 結局、次の日は夕刻前になってもう一日待てとの連絡が来て、そのまま別邸で缶詰になってしまった。自分も現地休暇になってしまったかと、嘆息しつつも体を休める。
 その翌日ようやく宰相からの呼び出しがあり、昼前の決められた時間に宰相の執務室を尋ねると、先日と同じく義父と祖父も揃っていた。
 祖父はともかく、あれだけ毛嫌いしていた宰相の元をここしばらくで幾度も訪れている公爵には、どのような心境の変化があったのだろうか。
 もしかすると変化したのは心境ではなく状況で、セルフィーユやラ・ヴァリエールだけの問題ではない事態が起きているのかもしれないなと、リシャールは気を引き締めた。
「こちらでも少々意見が合わぬでな、お主にも幾つか聞いてから話を進めようと相成ったのだ」
「昨日一日、宰相殿を含め王政府や貴族院のお歴々と協議しての。
 空いておる官職の中から、宮中職を幾つか見繕うたんじゃ」
「宮中職、ですか……?」
 何某かを命じられるのだろうなあとの予感こそあったが、あまり耳馴染みが無い言葉にリシャールは戸惑った。

 官職の種類は大きく文官と武官に分けられるが、上は王政府の代表たる宰相や王軍の連隊長から、下は地方の小さな王領を預けられた代官配下の徴税官まで、正確な種類と人数を知るのも一苦労なほど種類がある。魔法衛士隊は無論、王軍や空海軍でも士官より上の階級を持つ者は、やはり武官として官職一覧に名を連ねていた。下層の一部には平民も名を連ねているが、彼ら下級官吏や平民出身の海尉も国に仕えていることは間違いない。但し、代官が現地で雇った村役人や、軍内でも下士官や一般兵士はこれに該当しなかった。
 逆に諸侯配下の家臣や役人、軍人は、正しくは国より官職を得ているわけではなかったものの、準じて扱われるとされていた。
 リシャールが先日拝命した王軍の予備役准将も官職の中の武官に該当するが、予備役の名が冠されている通り、王軍に常勤し、訓練に精を出して部隊を指揮するようなことはなかった。セルフィーユ家が有事に諸侯軍を編成した場合に要求される部隊の規模は一個大隊、通常は佐官相当の指揮官が担当する規模であり、周囲の小諸侯を指揮下に置いたり対外交渉を行ったりする場合、多少なりとも箔付けをしておいた方が良かろうという程度のものだった。
 宮中職は、これら官職の内で王政府や軍の序列や指揮系統に組み入れられず、王家を直接の主人として奉じる官職を指す。文官ならば王宮の奥向きを職場とする侍従や女官、武官ならば魔法衛士隊員がその代表格であろうか。
 セルフィーユで例えれば、ヴァレリーの配下で城館に務める者たちと、ジャン・マルクの指揮する子爵家の衛兵隊がこれに当たった。

「多少の面倒はあったのだがな、なんとか昨日の内に我らと王政府と貴族院の間で折り合いがついた」
 腕を組んで顔をしかめる公爵に、宰相がやれやれといった様子で後を引き継ぐ。
「昨日早朝より、いや、正確には一昨日の夕刻から睡眠を挟んでおりますが、ラ・ヴァリエール公、エルランジェ伯と共に協議いたしましてな。
 当初はセルフィーユ伯の資質に合う職が良かろうと、宰相府の参事官か財務卿配下の政策顧問あたりを考えておったのですが……」
「は?」
 宰相の話振りからするとこの件はお流れになった様子だが、どうにも話が大きくなっているような気がしてならない。
 それに王城での常勤は、是非とも勘弁して貰いたいリシャールであった。

 今回のような数週間から数ヶ月に一度の登城でも、不在中各所滞りがないように申し送りや書類仕事の振り分けといった前準備を行ってからでないと、帰城してから大変な面倒になるのだ。それが公務で王城に詰めっぱなしともなれば、多少どころではなく領地が混乱する。平素の領政はマルグリットを中心とした庁舎に詰める家臣団に任せつつあるが、今はまだリシャールが手綱を放すわけにはいかなかった。
 領政に興味を抱かず上がってくる税収の数字だけを領地として捉えているような代官、あるいは諸侯ならば、一笑に付すような悩み事でもある。彼らに『人口数千人規模の領地を管理する場合に必要な人数は?』と質問すれば、『家屋敷の維持や護衛は別として、領地の管理なら臨時の下働きを含めても十人いれば必要十分』との答えが返ってくることだろう。彼らにとり、領地の管理とは即ち徴税であったから、年に一度広場で台帳を見ながら税収をする者と、それを自城または王都まで運ぶ者がいれば問題がないのである。これを領内にある村の数だけ繰り返せばいい。商人は月に一度、自ら尋ねてくるように触れを出しておくのが普通だった。数ある問題事も、大抵は杖を手に無礼打ちをちらつかせて脅せば解決する。
 ちなみにリシャールが直接召し抱えている狭い意味での家臣団は約五十名、これに城の働き手や領軍や領空海軍の兵士を加えれば数百人規模の大所帯であったから、彼らにしてみれば酷い無駄に思えるし、領地の経営を重視する諸侯らには羨望の至りに見えた。
 だがリシャールには、借財の返済という大きな枷が存在した。これを乗り越えるのに、単なる税収に錬金鍛冶を足しただけではお話にならなかったのである。他にもカトレアを迎えるために家の格式と体裁を調えて保つ費用も相当な額が必要で、更には街道工事費用の捻出も加わり、これらを満たすための手段として、彼は領地の発展という道筋を立ててここまで邁進してきたのだった。

「ところがこれに少々横槍が入りましてな」
「まあ、公爵殿の言を借りるならば……『見破られた』、という当たりじゃな」
 宰相は憮然として、また祖父は飄々と笑い、二人は公爵に視線を送った。
「リシャール、お主、先日の逮捕の裏で貴族院の一部が暗躍しておったのは知っておろう?」
「はい、公爵様」
 危うく全てを失うところであったのだ。忘れよう筈もない。
 姫殿下が海賊に襲撃されたというただ一点を綻びとして、こちらが何もせぬ間に逮捕監禁まで持って行かれてしまった。今は表向き何もなかったことになっていたが、それで済むはずもなく、後から聞かされた裏事情も含めてリシャールの心にも、もやもやとしたものが残っている。
「あの件はマリアンヌ様の仲裁もあって一応の決着を見たが、これ以上いらぬ手出しをされては不快にも程がある。故にこちらから一手打つことにしたのだ。
 ああ、お主の反論は我ら三人掛かりで説得して理詰めで封じる予定であるからな、そのつもりで聞け」
「……」
 何とも酷い言われようであった。

「事は複雑な様でありながら単純でな。
 これまでならば、お主の選んだ身の処し方である、中央と距離を置くという選択も身を守る一つの手であった。お主が爵位を得てからの一連の流れを眺むれば、そのやり口は間違いではなかったと思う。
 お主の祖父殿などは、事ごとに『あまりこちらに来ぬのでよくわからぬが、まだまだ子供』と触れておられたな」
 祖父はひょいと肩をすくめ、悪戯小僧のように笑って見せた。リシャールの知らぬところで、援護射撃があったらしい。自然と頭が下がる。
「だがここへ来て、お主は目を付けられてしまった。
 ……ああ、お主の逮捕やそのついでに仕組まれた領地転売の話ではないぞ、その直後だ。
 カトレアが頼み込んだにせよ、アンリエッタ様の立太子という背景があったにせよ、マリアンヌ様がご自身で動かれる必要はなかったのにも関わらず、貴族院の会議にお姿を現されたことは話したであろう。
 この一件で、お主が単なる太鼓持ちや道化師の『子供子爵』ではなかったことを、皆が知ってしまったのだ」
「……どういうことですか?」
「お主には想像がつかぬかもしれぬが……ラ・ヴァリエールが頭を下げた程度であのお方が廟堂へとお出ましになるならば、とうの昔に女王陛下として玉座に腰を掛けておいでだわ。
 先王陛下の崩御より数年、一度たりとも喪に服す王妃としての態度を崩さず、王后陛下と呼ばれることさえ厭われるほど政治の表舞台とは距離を置くことを貫かれてきたお方なのだぞ。
 貴族院はともかく……宰相やカリーヌ、あるいは義兄であらせられるアルビオンのジェームズ陛下でさえ崩し得なかったその壁を、ついに一部ながら崩した……というのがお主の影の評価だな」
 知らぬ間に面倒な立場に立たされているのは今に始まったことではないが、流石にそのような事情にまで想像をつけろというのは無理があった。しかし、その背景のおかげで救われた部分もまた多いから、複雑な心境である。
 公爵だけでなく他の二人も居住まいを正したので、少々小さくなりながらリシャールは話を注意深く聞くことにした。祖父は二人に話を任せて黙り込んでいるが、妙に鋭い目つきを時折リシャールへと向けていた。
「私とて中央を退いたとは言え、そのあたりのことは耳に入ってくる。多少は影響力が残っておるのでな。……ふん、お主の逮捕をあ奴らに躊躇わせられぬ程度のものだが。
 だがそれも、いつまでも保持できるようなものではなし、状況も変化しよう。こちらで幾らかは手配りをするにしても、お主には自身でセルフィーユ家を盤石の固きに置いて貰わねばならぬ。
 そろそろ同じラ・ヴァリエールの閥でも、私ではなくお主に取り入ろうなどとする輩も出てこようしな。
 ……ラ・ヴァリエールの名はお主の身を守る盾にもなるし、無論良いように使って構わぬが、逆に仇なす場合もある。
 先日の件で、財政や治安は安定しておっても、政治的に不安定な面を抱えておることはお主にも理解できたか?」
「はい」
「そこでいくらか策を巡らせた上で、お主には多少目立って貰うことにした。
 頻繁に登城して人の目に止まればよい。それこそが大きな牽制となろう」
「……」
「それに合わせ、こちらも裏で手を回す。
 ああ、お主は与えられた仕事を真面目にこなしておればよいぞ。
 お主自身が綻びの原因となっては本末転倒も甚だしいからな、隙を見せぬよう心得よ」
 取り敢えず、納得と理解が及ぶ範囲の面倒事だなと、リシャールは内心で頷いた。
 なるべくならば関わりたくない中央の権力や政治だが、カトレアやマリーの身の安全には代えられない。見えない位置にいる敵は、実に厄介だ。まだしも視界におさめておく方が良い。
 ふむ、と公爵は天井を見上げた。
「ところがその話を公に通し関係部署と協議する段になって、貴族院から横槍が入った。正確には貴族院の息の掛かった一部の連中から、だがな。
 曰く『若すぎる』だの『経験がない』だの並べ立てておったが、折角引退したラ・ヴァリエールの関係者がまたぞろ中央に食い込むのは宜しくないらしい」
「公爵殿は随分と辣腕であられたからな。
 軍には縁遠かったわしでも、まあ……それなりに噂に聞いておったほどですからの」
「エルランジェ伯、私は預かった部隊の綱紀を正し、本来あるべき姿に戻しただけです。
 それに、頭が固いことでは貴方も相当に有名でしたぞ?」
 祖父が髭をしごいて楽しそうに笑うのに合わせて、義父は顔をしかめた。
「お爺さまはどのような官職に就かれていたのですか?」
「わしは内務卿配下の監査役をしておったかの。
 時々地方に出向いては、小麦の作柄や値段を調べ、官吏の邪魔をせず、邪魔をさせず、適正であれ不適正であれ全てを王政府に報告する、それだけのことだったわい」
 懐かしそうに目を細める祖父だが、義父の表情を見るにそう単純な話ではないようだ。気にはなるが、話の本筋とは重ならないこともあって、リシャールは続けようとした質問を取りやめた。
「そのような訳でしてな、王政府でセルフィーユ伯をお預かりするわけにはいかなくなりました。
 財務卿などは是非こちらで預かろうと乗り気であられたのだが、残念ですな」
 接点のないはずの財務卿が、何故に自分を欲するのかとリシャールは疑問を浮かべた。その表情を見つけた、マザリーニが苦笑する。
「デムリ財務卿はセルフィーユ伯の領地経営について大いに興味があった様子、王政府に引っ張り上げて王領の開発をまかせ、税収の増大を計りたいと口にしておりました。
 加増があったとは言え、貴殿が王政府へと収められた上納金に余程驚いていたのでしょうな。
 一昨年から去年について、倍どころではなく増えておりました故」
 表情の選択に困るが、評価されていることは間違いないらしい。今年でそろそろ増額も打ち止めなので、来年以降はがっかりさせてしまうかもしれないなと、リシャールは埒もないことを想像した。

 その後しばらく、リシャールは自分のよく知らない王政府の内部事情や勢力図などを説明してもらい、自分の立たされている位置などを再確認した。
 大凡は貴族院を中心とする法衣貴族の主流派と諸侯や軍人の多いそれ以外の中小派閥の対立という図式で説明はつくのだが、諸侯にも中央政界への進出を狙って中央を牛耳る主流派と結ぶ者もいたし、逆の流れもあり得た。もちろん、それらと重なるようにして文官と武官との間には暗くて深い大きな河が流れ、更には部署や組織ごとの縄張り意識による弊害は散見どころはない様子だった。
 そのような場所に放り込まれる前提で自分は話を聞いているのだから、どうにもやりきれないリシャールである。だが、先日のような騒ぎを回避するには、なにがしかを示さなくてはならないことは、自分にもわかってきた。
 茶杯が入れ替えられるのを待って、更に話は続く。
「少々長くなったが、以上の様なやり取りがあってな。
 王政府で預かるには貴族院より抗議があり、軍や法院では非常勤職でも時間を拘束され過ぎるので不可能。事を荒立ててまでこちらの要望を通すのもまた、よい結果には繋がらぬと判断した。
 なれば横槍の入らぬ王城の奥向き、宮中職がよかろうと、侍従長のラ・ポルト卿に常勤ではない官職の空きについて問い合わせたのだ。
 最終的に、マリアンヌ様よりご裁可を頂戴することにはなるのだが……」
「お主が選べるのは、ここからじゃな」
 にっと笑った祖父が、少々恨めしいところである。

「ところで……マザリーニ猊下」
「なんですかな?」
 リシャールはここまでの話で気になっていた点を、本人に直接問うことにした。やはり、違和感が拭えなかったのだ。ちらりと祖父と義父の顔を窺ってから、重い口を開く。
「少々申し上げにくいのですが、この場での話し合いの中身などはいわゆる密談、それも……言ってしまえば一部の諸侯が身を守るためとは言え策略を練っているわけですが、それに猊下が混じっておられるのはどうしてなのでしょうか?
 王政府を代表する身でいらっしゃる猊下にとり、とても不都合かつ不快な話だと思うのですが……」
「ふむ、確かに伯の仰るように、全く以て不都合な話かもしれませんな」
 口から出る言葉とは裏腹に、宰相は面白そうな笑みを浮かべている。義父と祖父は顔を見合わせてから、リシャールを注視した。
「ですが、私にも欲するところ……野望がありましてな」
「野望、ですか?」
「ええ、野望です」
 清廉謹厳で知られる枢機卿にしては些か大胆な発言に、リシャールは驚かされた。そうでなくとも、政治家として聖職者として、滅多に自らの胸中を人前に出さないマザリーニである。
 僅かに中空へと視線を向けたマザリーニは、ふっと大きく息を吐いた。
「私には、先代のトリステイン国王アンリ陛下にお誓いした、大事な約束事が御座います。
 後を頼むとアンリ陛下より預けられたこの国を、無事アンリエッタ姫殿下へと橋渡しすること。
 ……これを違わず履行することが、私の野望であります」
 マザリーニの心の拠り所でもあるのだろう。
 その言葉には、どれほどの深い思いが込められているのか。
 珍しく誇らしげな様子の宰相にあてられて、リシャールも背筋を伸ばした。
「ところがここしばらくのトリステインは、風向きがまことに宜しくない。
 特に貴族院の専横は目に余る。……そうですな?」
「はい」
「互いの足を引き相争うだけならば私も放置しておきましょうが、その増長振りはとどまるところを知らず、彼らに許された職権利権を逸脱した、凡そまともではない要望書やら命令書やらが飛び交っております。……貴殿の逮捕命令などもその一つですな。
 残念ながら、既に自浄作用を期待するような段階を越えております。
 余裕無く国の維持に専心しておりました、などとは言い訳にもならぬでしょうが、足下をよく見なかった私の罪でもあります」
 先ほどの胸を張った発言に比べ、消沈さえ感じられるマザリーニだった。背中が煤けて見えるのは、気のせいではあるまい。
「そのような状況だからこそ、今より種を蒔いておきたいのです。
 将来トリステインを、アンリエッタ様を支えうる人材という名の、花の種を!」
「……」
「セルフィーユ伯、貴殿には多くを望みませぬ。
 既に今でも多くを望んでおりますからな、これ以上はそこなお二方もお許しにはならぬでしょうし、私も望むところではありませぬ。
 宰相としても私個人としても、これまで通り、貴殿らしいあり方でいて下さればこの上ない。
 第一、貴殿は既に諸侯中でも中立ながら無視し得ない勢力であるラ・ヴァリエール閥の一員。
 ……この件を遠因として貴殿らが勢力を伸ばし、貴族院に成り代わって不遜にも暴慢専横を為したとあっては、それこそ何をやっているのかわかったものではありませぬからな」
 最後はマザリーニ流の軽口であろうが、王政府内で権力を振るうなど想像もつかなかった。先日野心について聞かれた事をちらりと思い出すが、義父ならばともかく、自分には似合わないなあというのが正直なところだ。
 しかし……。
「幸いにして、まだ匙を投げるような段階でもありませぬ。
 貴族院の政治的圧力に負けぬ新体勢を作り上げてこれに抗し、アンリエッタ姫殿下の足下を固める心づもりをしております。
 彼ら貴族院には、是非とも本来のあるべき姿に戻って貰わねば。
 今年皇太女となられても即位までには最低数年、無論それには間に合いませぬが、十年の後に成果が出ていれば重畳と考えております。
 それに……やはりですな、若き女王陛下を盛り立てるべきは若き臣下でありましょう?」
 どうですかなというマザリーニの視線を受けたリシャールは、言葉の意味をを少し考えてから、これはどう判断したものかなと首を傾げた。
「きっかけはお主なのだぞ。
 話し合ううちに、先王アンリ陛下どころかその前のフィリップ三世陛下にもお仕えしていた老骨であることを、改めて思い出したわ」
「お主に振られておる役回りはたまに登城して王宮内に姿を見せること、真面目に仕事をすること、これだけじゃ。
 難しいことは何もあるまいて。
 ……しばらくは、口うるさいわしら老いぼれが目障りかも知れんがの」
 確かに未来の女王陛下を臣下として支えるのだから、多分きっとおそらくは、どこも間違ってはいないのだ。……にも関わらず、脳内で警鐘が鳴り止まないのは何故だろうか?
「そうじゃ、忘れておった。
 リシャールよ、お主どの職を選ぶ?」
 他にも何か聞こえてきたが、リシャールの耳にはよく届いていなかった。




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